パワースポット、筆遊びで有名な雁田薬師浄光寺。護摩法要、厄除け祈願、がん封じ、息災延命の祈願寺。癒しの里霊園。

笑顔で行こう! 女川復興視察バスツアー 参加報告

一 はじめに
 笑顔プロジェクトの皆さんが行っている復興支援に参加したいと思っていました。
 平日は無理かなと思っていたところ、林PTA会長さんに、8月は土日に行くと声をかけていただき、高山小学校の小林和市校長と一緒に今回のバスツアーに参加することにしました。

 浄光寺さんのうぐいす色の封筒が届き、タイムスケジュールや現地地図だけでなく、体調管理に関する注意書きや参加者ID・夏祭り屋台引換券等が入っているのを見て、見通しをもった丁寧な準備をされているなあと脱帽しました。バスツアーのメンバーのお世話をプロジェクトメンバーの高野さんがしてくださるとあるので、他のメンバーは何をするんだろうと不思議に思い、同封のタイムスケジュールを見て驚きました。

 一緒に行くものと思っていた笑顔プロジェクトのメンバーは、先発隊(本隊)として前夜に出発し、私たちが到着する前に祭り会場を設営し、祭りの準備やリハーサルを行うのだそうです。ここに至って、ようやく概要がわかってきました。
 8/17(金)の新聞に、水中を撮影するロボットカメラの活用の記事があり、まだ300余名の不明者がいる女川の海で使用されるとのこと。女川の現実を知り観光気分を戒めました。

二 8/18(土)
 朝4時40分、役場前で他の参加者と一緒になりました。大人だけかと思っていたところ、小学生が(児童会役員も)いる、昨年度の児童会長もいる、保護者がいる、栗ガ丘小学校の先生がいる、そ〜か、こういうメンバーだったのか、これなら、栗ガ丘小学校号みたいだなと納得しました。「笑顔プロジェクト」のシールの貼られたバスは栄村の森宮交通でした。これも栄村の震災復興支援につながっているに違いないと思いました。

 5時前に出発し、途中SAやPAで休憩しながらひたすら走りました。高速を下り、石巻市内に入り津波の爪痕やがれきの山が見えてくると、高野さんが「前は、魚の腐った悪臭がしていた。そこの高校の校庭が、がれき置き場になっている。」等、解説をしてくださいました。

 石巻から女川に向かう女川街道は万石浦に沿って走っているのですが、街道と海の間に石巻線という鉄道が走っていました。でも、3.11以来廃線となっていて、その線路跡を見ながら女川の町に入っていきました。

 商店が集まっているところで林さんが合流し、添乗員さんみたいに、津波や町の様子等について説明してくださいました。祭り会場(上五区集会場の跡地)横でメンバーを一人下ろして女川湾の方へ下っていくと、鉄筋コンンクリート2階建ての交番が横倒しになったまま放置(記念に保存)されているなど、津波の恐怖と破壊力を目の当たりにしました。

三 がれき処理施設(女川廃棄物選別処理施設)にて

 プレゼンテーションルームとして建てられたプレハブ入口に、見慣れた「笑顔」がありました。側面にも林さんの言葉があり、継続した支援を続ける笑顔プロジェクトと女川の太いつながり
が伝わってきました。
 同じく側面に、女川港復興後のイメージ図が貼られていました。このような港にするんだという目標を持ちながら、その1日も早い実現に向けてがれき処理を進めている段階でした。

 女川港復興後のイメージ

1 女川第一小学校 相澤教頭先生の話
  被災後の4月に異動してきた相澤教頭先生から映像を交え   てのお話を聞くことができました。
・2012.4/12に宮城県で一番早い入学式をしたこと。
・学校が避難所になったため、4/20には第一中学校の校舎 に移転し、給食はパンと牛乳だけだったこと。
・小布施から届けられたパフェに子どもが喜んだこと。
・支援のあり方に3つあること (1)ワッと来て、ワッと帰って行く事故満足型 (2)やってあげた んだぞ、後で写真送ってくれ型 (3)複数回継続型・・・の中でも笑顔プロジェクトは、「こう いうのどう?という提案があり、こちらの言うことも聞いてくれる、互いに言いたいことを言い 合える関係」でありがたいとのことでした。
・第一中学校から、さらに第二小学校への引っ越し(2回とも自衛隊の活躍)
・七夕の短冊に見られた子どもたちの願いの代表的なもの 
  (1)「町の復興を」 (2)「大きくなったら町のために役立つ人、人を守れる人になりたい」
・奥尻島の被災1年7ヶ月後の子どもが「元気です」と言っても、本当は元気でなかった例を挙 げ、今後の子どもの様子を注意深く見守りたいことや、転居等による児童数減への心配
・台本ありの報道への不審(取材お断り)、支援は物でなく「忘れないよ」の心
・「おだずなよ(ふざけるな)津波、まげねど女川、がんばっぺ女川」の思い

2 がれき処理の現場見学
 女川第一小学校の昨年度のPTA会長の伊藤さんが、林さんとともに栗ガ丘小学校の校長室へ来てくださったのは5/28ラーメンフェスタの翌日だったかな。栗ガ丘小学校児童会(永井会長さんたち)が届けたデジタルカメラで写した写真を持って来てくださった。そのとき、今はがれき処理の仕事をしているとおっしゃってたけど、この日説明してくださったのが、その伊藤さんでした。林さんとは仲のよい友達みたいです。

 防塵マスク・ヘルメット着用で、伊藤さんの説明を聞きながら進んでいきます。
 ベルトコンベアーが組み合わさったようなこのでっかいラインは、一体どのような仕組みで、どんな仕事をしているのでしょうか。このでっかいラインと同じ物がもう一本あって、その間にもいくつものベルトコンベアーが直角に組み合わされています。
 がれきの山から、ベルトコンベアーでラインの中にがれきが運び込まれていきます。

 ラインの途中で金属類は磁石で選別され、砂も大きさ別にふるい分けられて、その他のがれきだけが、「手選別ライン」に搬入されていきます。休憩を終えた作業員も続々と「手選別ライン」に入っていきます。ここでは、作業員が熟練工のような手つきで、石・コンクリート・紙・ビニール・ガラス等を選別して取り除いていきます。

 種類別に取り除かれたがれきの残りが、選別ラインのゴールからはき出されてきます。
 それは木材・木です。これらの木は、震災前にはどこでどのような役目を持って存在していたのでしょうか。重機でダンプカーに積んで運ばれていきます。これらの木は鉄路で運ばれ、東京都で焼却処分されるのだそうです。

 膨大ながれきをすべて処理するには、まだまだ時間がかかるそうですが、女川が復興に向けて力強く歩んでいるのは間違いありません。サンマ漁の季節に入り、港には氷をつくる大きな建物ができていました。そういえば、弁当に入っていたサンマは、今年はじめて水揚げされた女川のサンマだと聞きました。右の写真の左上のサンマです。

四 上五地区夏祭り参加
  女川町の高台にある上五区の集会所跡に行くと、笑顔プロジェクトの皆さんにより、 すでにたくさんのテントが張られ、いろいろな食べ物を手にした地元の皆さんがテーブ ルに座ってビールやジュースを飲見ながら楽しそうに談笑していました。
  林さんが到着したので、御輿太鼓引渡し式等の開会行事が始まりました。

林さんから区長さんへ、修繕した太鼓や

子ども御輿の引渡し

林さん、区長さん、育成会長さんで

鏡割り

子ども御輿の出発

元気な子どもが、女川の未来を象徴しているようです。

やきとり、焼きそば、ポップコーン、おやき、かき氷、フランクフルト、ゲーム、お米すくい、ライブ、他にもいっぱいあって、みんな楽しく盛り上がっています。

「TOMOYAARTS」軽快な音楽に乗って、その場で即興で絵を書いていきます。できあがった絵を塗りつぶして、また次の絵を描いていきます。刻々に変わる会場の様子が絵に表されているようです。最後の絵は、子ども御輿と、はっぴを着た子どもたちと、祭り会場の提灯の彩りがまさにマッチして、この日この時の女川でした。

五 おわりに
 9/9(日)の信毎の新刊欄に『女川一中生の句 あの日から』が紹介されています。女川一中生が詠んだ句を2つ紹介します。

〈逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて〉

〈戻ってこい 秋刀魚の背中に のってこい〉

 

 栗ガ丘小学校 小嶋和好