パワースポット、筆遊びで有名な雁田薬師浄光寺。護摩法要、厄除け祈願、がん封じ、息災延命の祈願寺。癒しの里霊園。

女川震災支援復興活動 (2011,5,16)

5月15日
22:40 メンバーが集まり、 林 映寿さんが一人一人の名前を呼びながら名札を渡す。
「ワッシー!!オッシー!!マッキー!!トッキー!! シバッシー!!マサトッティー・・・・」
結構無理な感じで「○ッ○ー」と呼ばれるメンバーたち 今思えば、これから起こることを予言しているかのようだったな・・・

23:00
総勢14名 4台の車が長野を出発した。 今回は松栄寿司さんの「すいとん」と「いなりずし」と「きゅうり」のお漬物の炊き出し志賀麺業さんのハピハピクレープの炊き出し各避難所へたくさんの方の思いが詰まった支援物資のお届け女川中学校で勉強をしている小中学校のみなさんに、ネーブルオレンジとケーキとリンゴジュース そして、心のこもった笑顔クッキーのプレゼントそして、そして、子どもたちの特別授業として、林映寿さんの筆遊び教室盛りだくさんです。

5月某日、打ち上げ兼打ち合わせ会をした時に現地の方と密に連絡を取り合っている事務局の鷲森さんから現地の様子を聞いた「避難所の横ではまだ、遺体が上がります。いまだ家族が見つからずに探されている方がいるところで2ヶ月経っても避難所生活でかなり神経質になっています。」
そこでのルールがあるということも聞きました。食事を食べる順番、子どもが一番、体を動かす若者、最後に老人・・・ 「ペラ禁」と言って、楽しくお話することさえも禁止されているということ知った。
普段の生活よりも、もっともっと言葉や行動に愛を持って接したいと思った。

SAで給油中に、笑顔プロジェクトの車の後方から林さんたちの賑やかな声が聞こえてきた。そこには、ピースマークが大きくボンネットに描かれている車と鹿児島から一人で被災地に向かう女性の姿がありそして、車の中に優しい絵が見えた。

そこには「笑顔を描かせてください」「売上は支援に使わせて頂きます」と書かれていた。
素晴らしい女性との出会いに、感動した、きっとまた会える、お互いの活躍を願い給油所を後にした。 この女性と出会ったことで、何かが待っているのではないかと期待が膨らみ「移動の車内が楽しいです〜ミラクルな出会いもありでこれから何が起こるのか 笑顔プロジェクト凄い〜」
と書き込みをしたのが、5月16日2:17のことだった。

宮城県に入り、車中それぞれに朝食をすませる。愛情たっぷりお嫁さんの手作りご飯をお裾分けしてもらった。オッシーからみんなに笑顔のサプライズプレゼントももらった 

笑顔のワッフル〜 ひとつひとつ、手作りシールが貼られていました。私のシールはとっておきのスマイルでした。「たくさんの方に支えられている」という温かい気持ちがいっぱいになり感謝の気持ちと幸せを感じた。

お腹も心も充電完了 

一同、女川へ向かう。のどかな風景なのに渋滞した山を越えると

まだまだ瓦礫の山・・・
瓦礫を抜け、高台にある女川第二小学校へ到着した。一人でサッカーをしている少年を発見 

鷲森さんが地元の方と打ち合わせをしているとトッキーがすかさず参戦
しばらくすると、低学年の子たちも集まってきて  

笑顔プロジェクトのメンバー全員と、子供たちとでサッカーをしました。メンバー全員が子どもたちの笑顔から元気をもらい

8:20 炊き出し班と筆遊び教室班とに分かれ、それぞれの場所へ向かった 

私は、筆遊び班と一緒に同行させてもらいました。向かった先は、先日も訪問した近隣の小中学校3校が集まっている女川第一中学校。林さんが教頭先生と連絡を取り合ってくださり実現しました。 女川第二小学校から女川第一中学校はすぐ目の前。

4月27日

そして5月16日

瓦礫は少しずつ片付けられ綺麗なツツジが咲いていた  

今、私が住んでいる長野市にも同じ花が咲いている。この瓦礫に包まれた世界は、遠く離れた場所で起こっていることではなく私の住む日本で起こっている出来事。
偶然にも小学生が玄関前に集合して、朝のお楽しみ会をしていた。先生たちは、普通の授業ではなく、子どもたちの心のケアをするために授業の工夫をしているそうです。教頭先生から「せっかくみんなが集まっているところに来てくださったので自己紹介と挨拶をしてください」と呼ばれ林さんがみんなの前で挨拶をしました。  

教頭先生が「この前(4/27のこと)、みんなクッキー食べたよね?覚えてる人?」と聞くと「ハーイ!!」と手を挙げる子どもたち「今日は、この前クッキーや文房具を持ってきてくださった皆さんがまた来てくれました。」 すると「あ〜知ってる〜!!」「この前の人だ〜」という声が聞こえてきた。「そして今回はなんと!!リンゴジュースと〜!!オレンジと〜!!ケーキと〜!! クッキーを持ってきてくれました〜!!」 と教頭先生が言うと子どもたちが、飛んで跳ねてなんとも表現できないような様子で喜んでいました。  

4月27日の日記にも
「この子たちの給食はパンと牛乳だけ・・・」と書いた。その状況は変わらずにいた。教頭先生の話によると、女川第一中学校には、幸いなことに文房具類はとてもたくさん集まって子どもたちが卒業することが出来るくらい揃ったそうです。しかし、食べ物は相変わらずの状況であるとのこと。「炊き出しを行って子どもたちに食べさせてあげればいいじゃないか?」そう思うかもしれない。しかし今、調理行為が許されているのは公的に認可された避難所のみでそれ以外の場所では、食中毒の恐れがあるため調理は一切認められていない。震災後、この女川第一中学校にも有名な方が炊き出しに来てくださったそうです。「その時はOKだったのに・・・今は、もう炊き出しは駄目なのです・・・」 そして「その有名な方は一度来て喜ばせてくださったけど、そのあとがない。。。 笑顔プロジェクトの方は、また来てくださった。そして長い支援をしていただけること、本当に嬉しいです。」 その言葉を聞いて「私は、何度も何度も来る!!次はもっとこうしたい!!もっと笑顔を子供たちに!!」 そう思った。 

筆遊び教室は
3時間目に2年生の教室で、4時間目に5年生向けに開かれた。筆遊びとは、字の上手、下手はなく
自分自身と向き合い、自分の内面を字に託すものです。子どもたちが、どんな思いで、どんな文字を書くのか興味がありました。 2年生の教室は、林さんの楽しいお話で大爆笑緊張がほぐれた様子でした。
まだ習字を習っていないこともあったのか、手や机を真っ黒にしながら自由に楽しんでいました。
その中でも、線が細く自身のない控えめな文字を書いている女の子がいたので一回、筆ペンを一緒に持って「心」という字を書いた。「怖がらなくてもいいよ。ドンって筆を下して〜、自信を持って。力強く〜。そうっ!!完璧〜!!」 練習をして、本番を書き終えたころにまたその女の子の所に行ってみると
「あのね、不安だったけど、勇気を持って書いたら出来ました。」と満面の笑顔と一緒に作品を見せてくれました。  

 みんな、とっても嬉しそう。5年生の教室でも、最初は、隠しながら小さな字を書いていても、じゃ〜ん!!自信たっぷり、素晴らしい作品

みんないい笑顔
5年生の筆遊び教室が終わり、炊き出し班と合流するために急いで階段を下る。筆遊びをした2年生の教室に寄って、給食の様子を拝見。机の上にはパンと牛乳、そして、支援物資のネーブルオレンジとケーキが配られていた。 

筆遊び班が教室をしている時炊き出し班は保福寺で炊き出しをしていた。  

そして、合流するときには、2か所目の炊き出しの場所にいた。朝、みんなでサッカーをした女川第二小学校だった。 

笑顔クッキー→きゅうりの漬物→ハピハピクレープ→いなり寿司と盛りだくさんです!!
印象的だったのがこのきゅうりのお漬物  

震災直後からこちらに来ていたという自衛隊の方が初めての野菜だと大変喜んで食べていました。「おつかれさまです!!ありがとうございます!!」 「いっぱい食べてください」ときゅうりの漬物を4本渡すと 仕事に戻ると言って去って行きました。しばらくすると「また、来ちゃった」と先ほどの自衛隊の方が戻ってきてくれました。 笑顔プロジェクトのメンバーは大喜び 

一緒に記念撮影をしました。任務を終え、自宅に帰ることになったようですが「何年後かには、必ずこの地に来たい!!復興した所を見たい!!」と語っていました。平川さん、ありがとうございました。
本当におつかれさまでした。メンバーみんなが笑顔で楽しく炊き出しを行いきゅうりのお漬物が終了し、いなり寿司が終了し、 笑顔のクッキーもハピハピクレープもそろそろ終わりそうな時  

ベッキ-が登場しました!! ベッキ-は避難所へ支援物資と歌を届けたそうです。笑顔プロジェクトが炊き出しをしていた場所は裏口だったため、ちょうど通り道だったのです。ベッキ-が来たことで
笑顔プロジェクトのメンバーはもちろんその場にいた人みんながHAPPYになりました。
笑顔のクッキーと私が作ったハピハピクレープをプレゼントし

みんなで笑顔の記念撮影をしました。ベッキ-だからだと思うのですが・・・芸能人の方の力は改めて凄いと思いました。支える立場のボランティアメンバーや自衛隊の人が一瞬でHAPPYで笑顔になりました。現地の方々はベッキ-に出会ったことで希望、夢、どれだけの光を見つけることができたのだろう

ベッキ-のブログから引用
【物資集め等を、ツアーの準備、レコーディング、新曲プロモーション、レギュラー番組収録などと、と並行して行っています。これでも、お友だちの誘いをぜんぶ断って、お仕事以外の時間取り組んでいます。】 ベッキ-は今、現地の方のために精一杯「自分ができること」をしている。

5/19のベッキ-のブログには女川・石巻へ行った日記が綴られています。
http://www.becky.ne.jp/contents/blog/?m=20110519

一部引用
【私は今後、日本テレビの『スッキリ』さんと共に被災地の様子を伝えていくことにしました。もちろん継続的に。被災地の様子を“伝える”というこ との大切さを前回、知ったからです。なのでこれからはカメラと共に被災地に行くのと、カメラがないところでの個人の支援活動を両方行っていきます。誤解さ れたくないので、先に書きますが、もちろんこの件に関しては、出演料を一切受け取りません。当然、事務所も。制作会社さんもボランティア状態で一緒に行っ てくれています。VTRを通してみなさんの関心が薄れぬよう、これから現状を伝えていきます。そしてこれからも毎回、支援物資を持って行きます。書くまで もないと思いますが。また色々とご報告します。】

ボランティア活動をするということ。私の中で葛藤がありました。そんなことやって、何の得があるの?
一度きりの人生、楽しい方がいいじゃん、偽善者、芸能人であれば売名行為、人が足りているから、もう大丈夫、自分のしていることは間違えなのか?考えた、ブレまくった

でも、今、自分がしたいこと、この先、自分がありたい姿、ありたい世の中しっかりと自分の心と向き合って自分の心が穏やかでいられることを考えたら「体力が続くまで、続けること」だった。

きっと、ベッキ-もそれなりの葛藤がありながらの活動なのだと思う。被災地へ行く、支援物資を集める、支援物資を仕分ける、届ける、伝える・・・ 売名行為だ!偽善者だ!!なんて言葉ではすまされないくらいの労力・精神的ダメージを受けていると思う。こういう活動をされている方を非難するのではなく
応援をする、褒めたたえるという、温かい心が溢れる世の中になってほしい。