パワースポット、筆遊びで有名な雁田薬師浄光寺。護摩法要、厄除け祈願、がん封じ、息災延命の祈願寺。癒しの里霊園。

女川町夏祭りに親子で参加して

 東日本大震災から1年半。ニュース、報道の中でしか見た事のない復興地に行きたいと思っていた私に林さんが「女川町の夏祭りに参加しませんか。」と声をかけて下さった。私はその場で「娘と私の2名で参加させてください!」と参加申し込みをした。

2012 8月18日(土) 朝4時45分 小布施町役場集合。眠い目をこすりながら誰が参加するのだろうと周りを見渡すと、栗ガ丘小学校の校長先生を始め、娘(小6)の担任の先生までいるではありませんか。他にも先生方、6年生の児童会役員をはじめ、子どもたち&親等々総勢22名。子どもたちは「わあっ!プチ修学旅行みたい!」と大喜び。いざ宮城県女川町へ出発!

上信越自動車道から北関東自動車道と順調に進んだが、東北自動車道で事故渋滞。1時間の遅れが出てしまった。宮城県に入ると娘は「地震の被害がなかったの?家が壊れたりしてないよ。」と不思議そうに窓の外を眺めていた。私も娘と同じように地震の爪痕が残っていると思っていた。ところが、石巻市に入ると沿岸部でもない商店街の建物が線を引いた様にあるところから更地になっていた。墓地には真新しい墓石ばかりが立ち並び、菊の花がたくさん手向けられていた。「これが現実なんだ・・・。」あんなにはしゃいでいた子どもたちも1階部分が壊れている住宅や、基礎しか残っていない更地を見て言葉を失っていた。

 震災直後から復興支援に参加していた責任者の高野さんから「この辺りはブルーシートがかかった家ばかりでしたが、少しずつ復興し、来るたびに街が変化しています。」と説明を受けた。確かに大型チェーン店は建ち始めたが、地盤沈下している道路や段差ができている橋を揺れながら渡るたびに現実を突きつけられた。

石巻市からいよいよ女川町に。ここに建物が建っていたなんて考えられないほど瓦礫が撤去され、見渡す限り更地となっていた。しかし、横になったまま残された交番、山の中腹に残され折れ曲がったフェンス、そこに引っ掛かっている布、○○苑とかかれた高齢者施設らしき看板、高台だけに残っている民家・・・。改めて震災の甚大な被害を痛感させられた。

小布施町役場を出発して約8時間、長い道のりを経てやっと現地に到着。

初めに女川町廃棄物選別処理施設を見学。女川町は2013年3月までに瓦礫処理を終了予定と聞き処理の速さに驚いた。しかし、ここでも多くの事を考えさせられた。東京ドーム4個分(44万トン)の瓦礫処理。焼却炉がないため、燃えるごみは受け入れ先である東京都まで運ぶとの事。

この真夏の暑さの中、マスクをし、ヘルメットをかぶり手作業で瓦礫の選別。本当に頭の下がる思いでした。80名からの職員さんの中には被災者の方もいるとの事で、この作業がどんなに辛いことか。又、選別エリアごとに放射線量を測定したり、オゾン水散布により作業環境を改善していることがわかり、報道では知りえなかった現実を知ることができた。

処理施設の周りには子どもたちが描いた夢の絵や、日本笑顔プロジェクト代表の林さんの書もたくさん飾られていたり、近くにはさんまの冷凍工場が建設中であったりと、復興への希望の光が感じられた。

そしていよいよ女川町上5区集会所跡地での夏祭り。唯一集会所に残った塩水に浸かってしまった「お神輿」と「和太鼓」。修復を笑顔プロジェクトが行い、引き渡し式も行われた。更地だった跡地には、笑顔プロジェクトの協力で屋台が出現!!長野名物「おやき」に「野沢菜」、祭りと言えば「やきそば」「やきとり」「フランクフルト」、エコにもつながる「こぎ氷」、子どもが大喜び「水ヨーヨー」「ハンマーチャンス」「スイカ割り」、歌あり似顔絵あり他にも盛りだくさん。浴衣を着せてもらい笑顔ではしゃぐ子どもたち。それを笑顔で見ているお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん・・・。

はっぴを着た子どもたちが笑顔で「わっしょい!わっしょい!」とお神輿を引き、大人が笑顔で太鼓をたたく・・・。どこにでもある『あたりまえ』の夏祭りの風景。でもこの『あたりまえ』の日常が、実はどれほど幸せな事なのかを、この夏祭りに参加させていただいて改めて感じることができた。

 「女川はどうだった?」と娘に聞いた所「行く前は、みんな元気が無くって暗い表情をしていると思った。どうやって接すればいいかと思ったけど、みんな元気で楽しそうだった。みんなも私もすぐに女川の子と打ち解けたよ。参加してよかった。」と話してくれた。さすが子どもたち。親の方が逆に躊躇し一歩引いていたのかもしれない。

 娘は多くを語らなかったが、提灯に「笑顔」「がんぱっぺ女川」と一生懸命書いていた。これからの未来を築いていくのはこの子どもたち。震災後、復興が進むと共に多くの事が風化されてしまう。しかし、私たち大人は風化させることなく、子どもたちの何気ない言葉や表情も敏感にキャッチして、子どもたちの心を育て、未来に希望がもてるように共に生きていきたいと思う。

 多くのことを学ぶ機会を与えてくれた日本笑顔プロジェクトのみなさんに感謝です。

「まげねど 女川」  「がんぱっぺ 女川」

 栗ガ丘小学校PTA 鈴木恵里子